“Do It Again!” ライレージム京都

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング道場です。

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ライレージムへの道 5 「職場へ」

30分程して、バリーさんが帰ってきた。
わざわざ家へ戻って、ロイ・ウッドさんのところへ電話をして、事情を説明してくれたらしい。
もちろん当時は携帯電話などなかった。

バリーさんは、ジムの前に畑があることから、ジムの開け閉めのお手伝いなどもしていた。

しばらくすると、ロイ・ウッドさんの息子のダラン・ウッドさんがジムに来てくれた。
私より5歳上で、体は大きいが、もうレスリングはしていない。
とにかく明るく、気さくな人だ。

これからどこへ連れて行かれるのかよくわからなかったが、とりあえず車に乗った。

着いたところは、ウッド家の仕事場。
家族で、食器、掃除用具、ゲームマシーンなどのパブ(イギリスの酒場)用品の卸をしている。
bar supplies ブログ用


紅茶に、昼食までご馳走になった。
また例の手紙を、見せた。 下手くそな英語で話すより、このほうが早いことがわかった。

ダランと2人の従業員が、ビリーライレージムの話などをいっぱいしてくれた。
この日はいなかったが、ここにはマーク・ライレーという人も働いているとのこと。
そう、あのビリー・ライレーのお孫さんである。
聞けば、レスリングはやってないらしいが、「本当に伝説の地まで来たんだ」とわくわくしていたのを覚えている。

いろいろな来客がある。
パブの経営者などが買い物、商談に来ているようだ。

みんなは仕事があるので、私一人、紅茶をご馳走になりながら、オフィスでポツリと一人でたたずんでいた。

またドアが開き、人が入ってきた。
しかし、お客さんではなかった。ロイ・ウッド夫妻だった。

ついに、出会えた。
たくさんの親切な人たちのお陰で。

1993年5月10日 これが、ロイ・ウッド先生との出会い、私のランカシャーレスリング人生の始まりである。
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  1. 2008/09/14(日) 03:34:42|
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ライレージムへの道 4 「雨宿り」

雨宿りするために、バス停に戻った。
屋根、ベンチがある。1時間ぐらい、ボケーッと座っていた。
小降りになってきて、
ひょっとしたら、もう開いているかな? と思い再びジムへ。

やっぱりまだ閉まっていた。
ところが、今度はジムの前の畑に一人のおじさんがいた。
その人は、少し距離を置いて、私のことを睨み付けるように、じーっと見ている。

とりあえずジムのことを聞いてみようと近づいていったが、かわらず見つめられたままだ。

おじさんの目の前にくると、理由はすぐわかった。
目が不自由らしく、聞き慣れない足音なので、私がいったい誰なのかと思っていたらしい。

まだ雨が少し降っているので、おじさんの畑の中にある、小屋へと案内された。
紅茶をだしてくれて、私の話を聞こうとしてくれた。
名前、何処から、何しに来たのか? など話した。

そのおじさんの名前はバリー・ジャクソン。のちに私がイギリスに滞在している間、たくさんの時間を一緒に過ごすことになり、大変お世話になる人だ。

強い光をあて、でっかい虫眼鏡を使い、集中すれば、休憩しながら、メモなど少し読めるという。

なかなか私の英語が伝わらなかったので、前日書いた、ロイ・ウッドさんに渡そうと思っていた手紙を見せた。

私が見ていられないくらいの眩しいライトをその手紙にあて、頑張って読んでくれた。

読み終えると、バリーさんは、「よし、ちょっと待ってろ」と言って、
小屋に私一人を残し、小雨の中、盲導犬のワトソンと共に何処かへと出かけて行ってしまった。

  1. 2008/09/08(月) 01:27:03|
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ライレージムへの道 3 「アスプル・オリンピック・レスリング・クラブ発見」

翌朝9時頃だったと思う。
教えてもらったとおり、ウィガン中心部のバスターミナルへ行った。

ところが、初めて訪れる地、言葉もよくわからない、たくさんのバスで、どこ行きのに乗ればいいのか、わかるはずがない。

あたふたしていたら、女の人が声をかけてきてくれた。とりあえず、行き先を伝えることができた。
偶然にも、その人も同じバス停で降りるということで、ジムの場所を知っているらしい。
車内でその人が何か話しかけてくるが、何回聞いてもよくわからないので、紙に書いてもらい、それを見てじっくり考えた。

「そこは見つけにくいので、連れて行ってあげます。」ということだった。

今なら、そんな簡単なことも当時はわからなかった。
ちなみに、その紙切れは今でも大事に取ってある。自分の英語学習のスタートとして。

それ以外はとくに会話はなかったと思う。そうこうしている間に、15分ほどでアスプルに着いた。

サッカーグラウンド、教会が近くにあり、舗装されてない細い道を、少し歩いて畑の横にある建物が、「アスプル・オリンピック・レスリング・クラブ」
ブログ用アスプルジム
しかし閉まっていた。まわりには誰もいない。
何時に開くかもわからない。

その女性は、コンビニと数件の店がある場所を教えてくれて、去っていった。
ホントに、ホントに助かった。こんなに簡単に辿り着けるとは思ってもいなかった。

現在なら、インターネットで世界中のあらゆる場所が、自宅から簡単に調べられるが、
当時は、外国の、電話帳に載っていない場所を探すことなど、本当に大変なことだった。
「アスプル・オリンピック・レスリング・クラブ」、「ウィガン」、「ロイ・ウッド」これだけの情報でも、思い切ってやってみれば、道は切り開けるものだと実感した。

今日やってるのかな? やってたとしても何時に開くのか?
まぁ場所はわかったし、この辺りをブラブラしながら、気長に待とうと思った。

しかし...傘を持ってないのに、強い雨が降りだした。
  1. 2008/09/04(木) 19:05:17|
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プロフィール

松並 修

Author:松並 修
ライレージム京都 代表

1971(昭和46)年 京都生まれ

1993年から、日本とイギリスを何度か
往復し、ロイ・ウッド氏のもとで、約3年、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・
キャン”レスリングを学ぶ。

1999年からは、ビル・ロビンソン氏の
指導も2年以上受ける。

2007年に京都市山科区に自らの道場を
設立する。

同年4月、道場を訪問したロイ・ウッド氏に
より、まだ名前の無かった道場が、
“Riley Gym Kyoto”と命名される。

伝説のレスラー、ビリーライレーの
正統派 “CATCH-AS-CATCH-CAN”
の継承を目指しています。

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