“Do It Again!” ライレージム京都

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング道場です。

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ライレージムへの道 16 「再渡英」

夢のような2週間が終わり、日本に帰ってきた。
 
興奮は冷めず、友達にイギリスで起こったことを話しまくった。


“絶対にまた行く”

まずはアルバイトでお金を貯めることに集中した。

レスリングなどの練習時間は、あまりなかったが、
空いている時間に出来る限りのことはやった。

日本にいる間も、ロイ・ウッド先生と手紙で連絡を取っていた。

「11月後半から半年間滞在します。」
と連絡すると、


「泊まる所を用意した。空港まで迎えに行くので、
 飛行機の時間を知らせてくれ。」

という返事をもらった。
手紙1
1993年11月23日 
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリングの本格的修行が始まる。

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  1. 2009/03/28(土) 00:32:29|
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ライレージムへの道 15 「伝説の最強レスラー」

ボブ・ロビンソン

“伝説の最強レスラー”ビリー・ジョイスの本名である。

日本ではあまり知られていないが、
プロレスの神様、カール・ゴッチをも子供扱いにし、
対戦したことのあるレスラーなら、誰もが“最強”と認めるレスラーである。

後にウィガンに長期滞在するようになってからも、
ロイ・ウッド先生をはじめ、地元の人たちから聞く、
ライレージムの昔話といえば、ビリージョイスの凄さばかりである。

ライレージムを離れた後、世界中を旅して、
数々の世界の強豪たちと戦ってきたビル・ロビンソン先生も、

最強のレスラーは? との問いには、
“ビリー・ジョイス” と即答する。

ビリージョイスと

ロイ・ウッド家の近くに、伝説の最強レスラーは住んでいた。

たしかこの時は70歳を過ぎたくらいだったと思う。

紹介してもらったが、何を話したか覚えていないし、
当時の私の英語力ではたいした会話はできなかった。

ダランとビリー・ジョイスさんが普通に世間話をしていただけだった。

伝説に触れることができたことに、ただ感動した。

これが、この旅の最終日だった。

たった2週間。
しかし間違いなく、その後の私の人生の方向を決めた2週間だった。

人生観、人生の仕事、考え方、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリングの追求、
英語の勉強、絶対に諦めない強い心を持つこと、
やればできるということ

すべてこの2週間で得たことである。
  1. 2009/03/09(月) 00:46:40|
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プロフィール

松並 修

Author:松並 修
ライレージム京都 代表

1971(昭和46)年 京都生まれ

1993年から、日本とイギリスを何度か
往復し、ロイ・ウッド氏のもとで、約3年、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・
キャン”レスリングを学ぶ。

1999年からは、ビル・ロビンソン氏の
指導も2年以上受ける。

2007年に京都市山科区に自らの道場を
設立する。

同年4月、道場を訪問したロイ・ウッド氏に
より、まだ名前の無かった道場が、
“Riley Gym Kyoto”と命名される。

伝説のレスラー、ビリーライレーの
正統派 “CATCH-AS-CATCH-CAN”
の継承を目指しています。

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