“Do It Again!” ライレージム京都

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング道場です。

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ライレージムへの道 1

「蛇の穴」、「ランカシャーレスリング」、「ビリーライレージム」

昭和のプロレスファンには馴染みのある言葉でしょう。 “プロレスの神様”カール・ゴッチ、
“人間風車”ビル・ロビンソンの活躍により、これらの言葉が日本で広まりました。

私の子供のころは、初代タイガーマスクのライバル達、ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、マーティー・ジョーンズ、スティーブ・ライトらを紹介する際に、
よく使われたものです。

私が17歳の時、週刊ゴングでダイナマイト・キッドが廃墟状態にあったビリーライレージムを訪問するという記事があり、ゴッチ、ロビンソンをも手玉にとり、その人を知る人なら誰もが“最強”と認めるビリーライレージム出身のレスラー、ビリー・ジョイスのコメントが掲載されてました。

「ライレーが亡くなった後は、彼の意志を受け継ぐ者はいなかった。今はここにいるロイ・ウッドが子供達を相手にアマレスを教える程度。残念ながら、ここでランカシャー流プロレスリングを習い、己を磨き上げようとする者は、その後、出現していない。」

何故かこの言葉が印象に残った。ぼんやりとではあるが、
「自分がそこへ行ってジムを復活させられれば、かっこいいなぁ」 と思った。
まさに“運命のゴング” だった。 ちなみに週刊ゴング 1989年5月25日号 No.257 です。

その一年後、新プロレス団体、メガネスーパーのSWSが旗揚げし、ロイ・ウッドがランカシャーレスリングのコーチとして日本に招かれました。
ゴングにインタビューなども載っていて、またまた興味がふくらんでいった。

その後いろいろありましたが、1993年、21歳の時についにイギリス行きを決意する。

当時はインターネットがなく、ウィガンという街にある。 ロイ・ウッドがアスプル・オリンピック・レスリング・クラブという所で教えている。 という情報しかありませんでした。
私は現在、英会話講師として生計を立ててますが、当時は、ほとんど英語もわかりませんでした。
海外へ行くのも初めてで、正直、不安だらけでした。
でも、「まぁ、見つからなければ、適当に観光でもしてくればいいか。とにかく行ってみないと何もわからない。」と思い、2週間の往復航空券を買って、1993年5月に初めてイギリスへと発ちました。
  1. 2008/06/09(月) 03:37:05|
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プロフィール

松並 修

Author:松並 修
ライレージム京都 代表

1971(昭和46)年 京都生まれ

1993年から、日本とイギリスを何度か
往復し、ロイ・ウッド氏のもとで、約3年、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・
キャン”レスリングを学ぶ。

1999年からは、ビル・ロビンソン氏の
指導も2年以上受ける。

2007年に京都市山科区に自らの道場を
設立する。

同年4月、道場を訪問したロイ・ウッド氏に
より、まだ名前の無かった道場が、
“Riley Gym Kyoto”と命名される。

伝説のレスラー、ビリーライレーの
正統派 “CATCH-AS-CATCH-CAN”
の継承を目指しています。

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