“Do It Again!” ライレージム京都

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング道場です。

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ライレージムへの道 27 「ビリー・ジョイスの素顔」

ビリー・ジョイスとはどんな人物だったのか?

家庭を大事にする人だったので、遠征などにはほとんど出かけず、
地元ウィガンの人以外で、彼を知る者は少ない。

日本には、昭和41年に国際プロレスに一度来日を果たしたが、
こういった遠征は非常に珍しいことだったので、強く印象に残っていたらしい。

私が自宅にお邪魔した際、
大切に保管されていたその時の思い出の写真や品々を
見せていただきながら、日本遠征の思いで話もたくさんしてもらった。

家族思いの、やさしいお爺さんだった。

しかし、ことレスリングに関しては、
やはり頑固一徹な人であった。

ビリージョイス自宅前

こんなことがあった。
ある日ロイウッド先生が、ビリー・ジョイスさんにジムでの練習生の指導をお願いした。

寒いイギリスでの練習、
私はたっぷりウォーミングアップしたいので、いつも30分くらい早めに行く。

ジムに着くと、エアロビクスのクラスが行なわれていた。

ジムは広いので、レスリング以外の時間は、他の人や団体に
場所を貸したりしていたからだ。

なので、隣の部屋でアップしていると、ビリー・ジョイスさんが現れた。軽くあいさつだけした。

しばらくして、ロイウッド先生が来て、「ボブ(ビリー・ジョイス)はきているか?」と私に尋ねた。

「さっき来ましたけど、見当たらないのですか?」と答えて、探しに行こうとした。


ロイウッド先生は、「そうゆうことか。もういい、わかった。もう帰ったよ。」

「???」

ビリー・ジョイスさんは、エアロビクスを見て帰ったのだ。

レスリングを見に来て、いいレスリングが見れないのなら、その場を去る。
そういう人だったらしい。

例えレスリングの練習中に来たとしても、ダメな技や動きを見たなら帰ってしまう。
指導はできない、しない人なのだ。

結局、私がビリー・ジョイスさんをジムで見かけたのは、この時だけだった。


相当なレベルに達しない限り、達人から学ぶことは許されなかったと
いうことだろうか。


しかし唯一、ビリー・ジョイスさんから学べる機会があった。

それは...
  1. 2010/11/19(金) 23:28:59|
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プロフィール

松並 修

Author:松並 修
ライレージム京都 代表

1971(昭和46)年 京都生まれ

1993年から、日本とイギリスを何度か
往復し、ロイ・ウッド氏のもとで、約3年、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・
キャン”レスリングを学ぶ。

1999年からは、ビル・ロビンソン氏の
指導も2年以上受ける。

2007年に京都市山科区に自らの道場を
設立する。

同年4月、道場を訪問したロイ・ウッド氏に
より、まだ名前の無かった道場が、
“Riley Gym Kyoto”と命名される。

伝説のレスラー、ビリーライレーの
正統派 “CATCH-AS-CATCH-CAN”
の継承を目指しています。

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