“Do It Again!” ライレージム京都

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング道場です。

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ライレージムへの道 29 「達人を目指して」

ビリー・ジョイスの達人ならではの秘話は数多くある。

いろいろな所で語られているが、

日本では“プロレスの神様”と呼ばれた
カール・ゴッチを子供扱いにしていたのは有名な話だ。

もちろん現地ウィガンでもカール・ゴッチは優れたレスラー
として記憶されている。

しかし、ビリー・ジョイスがあまりにもズバ抜けて凄すぎる
ということだと思う。
そしてその凄さは、ビリー・ジョイスを知る者にとっては
鮮明に、強烈に、脳裏に、体に染み付いているのだろう。

驚かされたのが、
ウィガンでロイ・ウッド先生をはじめ、
ライレージム出身の方たちから聞いた話は、

30年以上、ウィガンを離れていたビル・ロビンソン先生の話と
完全に一致するのだ。

よくこんなことをしていた などの
ビリー・ジョイスの技術の細部、
さらには特定の試合、スパーリングの
展開、詳細まで。



私は、1993年にウィガンに初めて行って以来、

ビリー・ジョイスのような
「ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング
の達人になたい!」 と思ってきた。

「ビリー・ジョイスさんは、どんな感覚だったんだろう?
この感じは近いかな? いや、これは全然ちがうだろうなぁ...」

などと考えながら練習をしてきた。


いつか、ロイ・ウッド先生、ビル・ロビンソン先生に、
私のスパーリングを見てもらい、

「そう! ビリージョイスのスパーリングと同じだ!」
と言わせたい。


それが、自分が達人になれたかどうかを知る唯一の方法であり、
ライレーの技術が完全な形で継承されていることの証明になり、
先生たちへの恩返しでもある。

“ビリー・ジョイス”
ビリージョイス2
私には一生かかっても到底辿りつけない領域かも知れないが、
それを目標に鍛錬あるのみ。
  1. 2011/01/17(月) 13:48:57|
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ライレージムへの道 28 「達人の技」

ロイ・ウッド先生とビリー・ジョイスさん宅を訪問する時。

それが、達人が自らの技を見せてくれる唯一の時間だった。

ビリー・ジョイスさんが現役のころは、他人に技を教えることなどなかった。

ロイ・ウッド先生は、70代半ばにさしかかろうとしていた
ビリー・ジョイスさんの健康を気遣い、よく訪れていた。

同時に、昔は決して聞くことができなかった達人の技の極意を聞き出したかったのだと思う。

Bジョイス宅

「お前はホントにラッキーなやつだなぁ! ボブ(ビリー・ジョイス)に技を見せてもらえるのは、
 俺とお前くらいのものだよ!」
といつも私に言っていた。

しかし、ロイ・ウッド先生も、ビリー・ジョイスさんと二人で椅子に座って技の話をしているだけでなく、
二人で実際に私の体を使って実演しながら話ができるので都合がよかったのではないだろうか。

現に、このような機会は何度かあった。


達人の技は、見るからに超難解というわけではない。
複雑なことをしているというより、
「何故そんなことが簡単にできるのか?」という感じだろう。

ロイ・ウッド先生がビリー・ジョイスさんから、聞き出したかったのもそういったことだったと思う。


二人で一つの技について長々と話をしていたのを覚えている。

この時、ビリー・ジョイスさんは達人にしか感じられなかった“何か”を話していたと思うのだが、
残念ながら当時の私の英語力では、はっきりとは理解できなかった。


今の英語力で、二人の会話をもう一度聞ければ...と本当に悔やまれる。

ただ、ビリー・ジョイス宅で見せてもらったいくつかの技の “形” だけは、
以前にも紹介した、
私のランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング教室ノートに、

“From ビリー・ジョイス”と書かれて残っている。
notebook.jpg

これらの技には共通の特徴がある。

それが達人の技の発想なのでは?

と私なりに考え続けていることはある。


  1. 2010/11/30(火) 16:50:07|
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ライレージムへの道 27 「ビリー・ジョイスの素顔」

ビリー・ジョイスとはどんな人物だったのか?

家庭を大事にする人だったので、遠征などにはほとんど出かけず、
地元ウィガンの人以外で、彼を知る者は少ない。

日本には、昭和41年に国際プロレスに一度来日を果たしたが、
こういった遠征は非常に珍しいことだったので、強く印象に残っていたらしい。

私が自宅にお邪魔した際、
大切に保管されていたその時の思い出の写真や品々を
見せていただきながら、日本遠征の思いで話もたくさんしてもらった。

家族思いの、やさしいお爺さんだった。

しかし、ことレスリングに関しては、
やはり頑固一徹な人であった。

ビリージョイス自宅前

こんなことがあった。
ある日ロイウッド先生が、ビリー・ジョイスさんにジムでの練習生の指導をお願いした。

寒いイギリスでの練習、
私はたっぷりウォーミングアップしたいので、いつも30分くらい早めに行く。

ジムに着くと、エアロビクスのクラスが行なわれていた。

ジムは広いので、レスリング以外の時間は、他の人や団体に
場所を貸したりしていたからだ。

なので、隣の部屋でアップしていると、ビリー・ジョイスさんが現れた。軽くあいさつだけした。

しばらくして、ロイウッド先生が来て、「ボブ(ビリー・ジョイス)はきているか?」と私に尋ねた。

「さっき来ましたけど、見当たらないのですか?」と答えて、探しに行こうとした。


ロイウッド先生は、「そうゆうことか。もういい、わかった。もう帰ったよ。」

「???」

ビリー・ジョイスさんは、エアロビクスを見て帰ったのだ。

レスリングを見に来て、いいレスリングが見れないのなら、その場を去る。
そういう人だったらしい。

例えレスリングの練習中に来たとしても、ダメな技や動きを見たなら帰ってしまう。
指導はできない、しない人なのだ。

結局、私がビリー・ジョイスさんをジムで見かけたのは、この時だけだった。


相当なレベルに達しない限り、達人から学ぶことは許されなかったと
いうことだろうか。


しかし唯一、ビリー・ジョイスさんから学べる機会があった。

それは...
  1. 2010/11/19(金) 23:28:59|
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ライレージムへの道 26 「伝説の最強レスラー 2」

ビリージョイス

以前にも少し触れたが、この人のことを知る者は口を揃えて
「間違いなく最強」と言う。

ウィガンで生活していて、ビリーライレージムOBの方々などから、
いろいろ昔話を聞く機会も多かった。

私は、実際にビリー・ジョイスさんの試合やスパーリングを見たことがないので、
あくまでも想像だが、数々の証人から聞いた話をまとめると、こういうことだ。


まず凄く脱力している。

手首をとられても、握られている感じがしないくらい力が入っていない。

そして自分が攻撃を仕掛けても全てが裏目にでる。

頭を捕らえたと思えば、次の瞬間には、その頭を捕らえた自分の腕が取られている。

足を掴めば、それは自分が足を取ったのではなく、次の瞬間には足で腕を取られていることになる。

倒されて、立ち上がれば、立てたと思った瞬間にまた倒される。

力ずくでねじ伏せられるのではなく、何故だかわからないがいつの間にかやられている。


まさに達人だったのだと思う。

ロイ・ウッド先生も「何をやっても勝てないと思った。」
といつも言っていた。

ビリージョイスは、一レスラーでしかない。

ライレージムの経営面や、指導面には全く関与していない。
人に教えることはなかったという。 

なので、その達人の技を教わった人はいない。

ジムに来て、当時のトップレスラー達を休みなしで、一人で次々に相手にしていく。
みんなが息があがっているところを、たいして汗もかかずに帰って行く。
billyjoyce.jpg

  1. 2010/06/06(日) 23:16:24|
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ライレージムへの道 25 「ロイ・ウッドという人 2」

ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”レスリング に適した体とは?
減量というより、自分の体を自由自在に動かせるのに最高の体を作るということだと理解した。

休むことなく、動き続けるトレーニング、スパーリングで80kg以上あった体重も、
すぐに70kgを切った。

練習時間自体はそれほど長くはなかったが、とにかく最初から最後まで
息をあげっぱなしの練習だった。

スパーリングも、何分やるのか、いつ終わるのかもわからない。

10分、20分、時には30分も休みなしで、先生が「止め」というまで延々と続く。

「あと1分」と言っておきながら、訪問者が来て話始めて、5分以上ほったらかしで、
マットに目を戻し、再び「あと1分」と言われるようなことも多々あった。

とにかく、先生のさじ加減一つで、本当に終わるまでわからない。

「よし今日はこれまで!」と言っても、

何かを思い出し「あっ、ちょっと待て」と引き留め、
「この技はこうだ」と熱血指導が再び始まる。

そしてまた何度も何度もその技の練習をさせられる。

legsplit.jpg

先生の「あと○○分、今日はこれで終わり。」ほど信用できないものはなかった。

自分で残り時間を計算してペース配分できず、
その場その場で、柔軟に上手く対応しなければならない。

しかし今思えば、こういったこともまさに、
“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”スタイルである。
  1. 2010/02/21(日) 19:19:32|
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プロフィール

松並 修

Author:松並 修
ライレージム京都 代表

1971(昭和46)年 京都生まれ

1993年から、日本とイギリスを何度か
往復し、ロイ・ウッド氏のもとで、約3年、
ランカシャー“キャッチ・アズ・キャッチ・
キャン”レスリングを学ぶ。

1999年からは、ビル・ロビンソン氏の
指導も2年以上受ける。

2007年に京都市山科区に自らの道場を
設立する。

同年4月、道場を訪問したロイ・ウッド氏に
より、まだ名前の無かった道場が、
“Riley Gym Kyoto”と命名される。

伝説のレスラー、ビリーライレーの
正統派 “CATCH-AS-CATCH-CAN”
の継承を目指しています。

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